螢雪の功(けいせつのこう)・・・・「螢雪」は苦労して勉学に励むこと、「功」は成し遂げた仕事や功績。

中国の晋(しん)の時代

『・・・車胤(しゃいん)の家は貧しく、夜に火を灯すための油を買うこともできなかった。そこで車胤は、夏の夜、螢を何匹も集めてきて、その光で本を読んで勉強をした。・・・

また車胤に同じく家庭が貧しかった孫康(そんこう)は、冬の夜、窓辺に雪を積み上げて、雪の明かりを頼りに勉学に励んだ。・・・

その苦労が報われて、二人はたいへん位の高い役人になることができた。・・・・・』

「晋書・車胤伝」より

どこまでが事実であったのかは、知る由(よし)もありませんが、現代からすると、「そこまでやるか?」というような話でもあります。

野球人、王貞治氏の言葉に、「報われない努力を、努力とは呼ばない」というのがあります。大記録を成し遂げた人物ゆえに言えることかもしれませんが、ならば考えようによっては、報われる努力をすればよい、ということかもしれません。

『学問に王道なし』とは言いますが、勉強も報われてなんぼの世界、車胤や孫康ほどに〝そこまでして″勉学に励むことができたからには、彼らの中には是が非でも報われなければならない、よほど崇高な目標があったのかもしれません。

車胤たちのようなまでの努力はできないにしても、人間は明確な目標や願望、欲求や欲望を大きな原動力として、突き動かされるものであることは確かだと思います。

私達は受講生の皆様方に、努力が報われるようにと願うのではなく、報われるような努力をしてもらう為に、私達ができることは何かを常に追求していかねばならないと思っております。

「がんばろう!」ではなく、「どうすれば、がんばれるのか??」を・・・